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- 太田川村(近世)とは
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太田川村(近世) 江戸期~明治7年の村名能登国鳳至【ふげし】郡のうち能登半島中央部,太田川河口付近の海岸沿いに位置する地名の由来は小田【おた】が狭い耕地を意味することにちなむといわれ,小田村とも書く(能登名跡志)加賀藩領慶長7年の鵜川天神堂奉加札(能都町鵜川,菅原神社蔵)には「弐俵 しほ 太田川惣中」とある寛文10年村御印の村高111石,免5ツ,山役48匁・鳥役1匁出来・猟船櫂役5匁翌11年の百姓数6・下百姓2(能都町泉原家文書)延宝4年の村高111石,百姓8,出来塩283俵(多田家文書)安政4年の百姓7,村高48石余ほか57石余は他村の入作(畠野家文書)明治3年塩士所有製塩釜6枚(多田家文書)同4年の製塩従事4戸・380俵(諸橋村史)同5年石川県に所属同7年の戸数18・人口96同年竹原【たけはら】村と合併して竹太【たけだ】村成立村名は消滅し,通称として残る |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」