ケータイ辞書JLogosロゴ 大塚村(近世)


福島県>保原町

 江戸期〜明治9年の村名。伊達郡のうち。古くは東根郷に属したという。はじめ会津領,寛文4年幕府領,延宝7年福島藩領,天和2年幕府領,同3年梁川藩領,享保15年幕府領,寛政13年備中足守藩分領,天保2年からは幕府領。なお,天保2年の足守藩の村替前後については資料が乏しく正確を期し得ないが,文久元年には幕府領であることがわかる(村差出帳/保原町史資料集1)。村高は,文禄3年の蒲生高目録,慶長年間の邑鑑ともに160石余,古高新高帳では371石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに373石余。慶長年間の邑鑑によると免4.0,家数1軒・人数3(県史9)。水田が集落を囲んでいる稲作地で,慶長5年に開削された砂子堰(県史3)は広瀬川からの引水で当地域の水田耕作に重要な役割を果たした。明治9年泉沢村と合併して大泉村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266218
最終更新日:2009-03-01




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