ケータイ辞書JLogosロゴ 大登村(近世)


福島県>三島町

 江戸期〜明治22年の村名。大沼郡のうち。古くは金山郷に属した。はじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領。大谷組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では川井村大登分として144石余,享保17年では155石余(大谷組御手鑑/渡部家文書),文化15年の村日記(県史10下)では165石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに165石余。享保17年の家数33軒・竈41・人数168,馬16(大谷組御手鑑/渡部家文書)。宝暦5年の村指出帳には馬医1人の記載がある。天明8年の家数34軒・人数132(宗門改帳/角田家文書),化政期の家数31(新編会津)。天正年間には横田山ノ内氏勝の支配地で,大登西海柵には渡部長門綱孝が住み,馬場・的場の地名が今に残るとある(同前)。神社は多加於呂志神社。小野川原村を編入。若松県を経て明治9年福島県に所属。戸数・人口は明治8年28・170,同13年35・219,同20年33・212。明治12年大沼郡に属し,同22年西川村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266259
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ