ケータイ辞書JLogosロゴ 大町(近世)


福島県>会津若松市

江戸期〜明治初年の町名江戸期は若松城下郭外北部のうち上【うわ】町に属し,大町口の郭門を出て北に行く通り長6町54間余・幅4間余貞享2年の町風俗習(会津風土記風俗帳2)によれば,古くは郭外4町の1つ元禄12年の惣町切支丹宗門御改帳では8町の1つ(会津若松史3)寛文6年の会陽町街改基(会津風土記風俗帳1)によれば,もとは郭内にあったが,文禄元年蒲生氏郷のとき現在地に移ったといい,傍出町として一之町・二之町・三之町・四之町・道場小路町があるまた,大町竪丁・馬場立丁も見える竈数354・人口2,349(同前)至徳元年はじめて市祭を行ったという当町は若松城下の中心的通りとして繁栄し,なかでも一之町と七日町に分かれる辻には,高札場が設けられ,札辻と呼ばれたまた領内の中心点とされ,ここを起点に各地への距離が測られた化政期の家数353軒(新編会津)当町は商業の中心地で,刀鍛冶・銀細工・革屋・絹布屋・弓屋・荒物屋・豆腐屋・油屋・茶屋などの店が並び,貞享2年には職業の種類は48種に及んでいる大町の検断簗田氏は,蘆名氏以来の商人司として屋敷を与えられていたまた,倉田氏は蒲生氏郷の城郭修築の際に来住して検断となった古川氏は刀鍛冶を業とし,先祖古川和泉守兼定は織田家に仕え,その子孫が蘆名氏に仕え,以後会津に定住したという(同前)なお「新編会津」には,大町のうち五之町より北を大町名子屋町というとの記載もある明治初年に,若松を冠称した大町一之町・大町二之町・大町三之町・大町四之町・大町竪町・大町名子屋町・大町二之竪・大町原之町・大町三四之竪となったものと思われるが,詳細は不明
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266297
最終更新日:2009-03-01




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