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小川村(中世) 南北朝期~織豊期に見える村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
小川村(中世) 室町末期から見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
小川村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
小川村(中世) 室町期~戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
小川村(中世) 南北朝期~戦国期に見える村名陸奥【むつ】国依上【よりがみ】保のうち元弘3年7月27日の河会由緒書写に「南酒出上総介義季〈高柿……小川・拙籠・大野・河会〉」,同4年8月日の河会由緒書写にも「酒出上総介義季,小川・拙籠・大野・河会」と見える(河会及助文書/家蔵文書)永正8年8月3日の依上保目録に「一,小川 百くわん」と見える(八槻文書/福島県史)「水府志料」によれば,頃藤村・西金村・下小川村・大沢村・栃原村・富根村の6か村を小川郷と称したという大子【だいご】町の南端および山方町の一部を含む地域に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
小川村(中世) 戦国期に見える村名新川【にいかわ】郡のうち天正8年4月の奥書のある「小川山千光寺之記」に奥の院の本尊大威徳明王は,観音山峰に旅所を建て,6日間当村に鎮座したのち,祭礼のときに御輿に乗せられ3月12日より14日まで布施【ふせ】郷を回るとあり,また明応2年,細川政元らの謀叛により小川山に2か月余避難していた将軍義材が,義稙として復職した際に,千光寺に対し,伽藍地1万歩や山林竹木などとともに燈明田として当村の畠10町を寄付したと見える(小川山千光寺文書/松雲公)現行の魚津【うおづ】市小川寺あたりに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
小川村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
小川村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
小川村(中世) 戦国期に見える村名越後国蒲原郡福雄荘のうち天正5年の三条衆給分帳に「新屋源介分 福応之庄つほ山村・小川村」と見え,当村は三条城主山吉豊守の家臣新屋源介の給地(市川浩一郎所蔵文書)比定地未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」