ケータイ辞書JLogosロゴ 沖中田村(近世)


福島県>新鶴村

江戸期〜明治8年の村名会津地方中部,会津盆地の南西部,佐賀瀬川の南岸に位置する大沼郡のうち会津藩領高田組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録で321石余,寛文5年の高田組郷村万改帳(会津風土記風俗帳1)では351石余,「天保郷帳」524石余,「旧高旧領」496石余寛文5年の家数51軒・人口231化政期の家数42軒(新編会津)南部を東西に走る銀山街道が高田街道と交差する地点は四軒茶屋と呼ばれ,同地は低地のため洪水の常襲地であった当村の端村であった長尾新田は,のち当村および立行事村・根岸中田村の3か村入会の秣場となり,幕末には長尾原新村となり,「旧高旧領」では村高54石余で,明治初年に当村に合併浄土宗正念寺は,昔,東照寺と称したが,天文年間に火災にかかり,のち僧春甫が再興し,文禄年間僧如冏が寺号を改めたという(新編会津)明治4年の戸数36・人口163(若松県人員録)明治8年に檜目【ひのめ】村・阿久津村と合併して鶴野辺【つるのべ】村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266383
最終更新日:2009-03-01




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