ケータイ辞書JLogosロゴ 小田村(近世)


福島県>猪苗代町

江戸期〜明治8年の村名会津地方東部,小田川流域に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは月輪荘に属したという会津藩領川東組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し303石,享保3年596石余(小林家文書),文化15年の村日記(県史10下)では554石余,「天保郷帳」595石余,「旧高旧領」596石余端村筧口は樋口とも書き,本村の南西15町にあり福島街道に面している木地小屋達沢は本村の東方1里28町の山間にあり,享保3年檜原村雄子沢小屋から移住(新編会津)享保3年の家数113軒・人数451,文化3年の家数82軒・人数382,馬49(小林家文書)化政期の家数は本村68軒・筧口13軒・木地小屋達沢17軒(新編会津)館跡があり音高城と称す筧口に真言宗葛峯山真福寺があったという(同前)樋ノ口には猪苗代三十三観音外7番の観音堂がある達沢は木地師の集落地であった肝煎は一ノ瀬家の世襲「新編会津」には工産として糸をあげ,慶応4年の産物にも真綿(猪苗代郷土誌稿)とあり,古くから養蚕の盛んな地域であった鎮守は蚕養神社明治元年10月村役人排斥の一揆で,休役となった旧肝煎は,帰役願を12月に民政役所へ提出した(小林家文書)明治8年白木城村と合併して蚕養村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266464
最終更新日:2009-03-01




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