ケータイ辞書JLogosロゴ 尾岐窪村(近世)


福島県>会津高田町

 江戸期〜明治22年の村名。大沼郡のうち。古くは尾岐郷に属した。はじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領。冑組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では窪と見え322石余,寛政元年の「会津鑑」では339石余,文化15年の村日記(県史10下)および「天保郷帳」「旧高旧領」では339石余。小名に西窪がある。化政期の家数は本村26軒・西窪7軒(新編会津)。水利は宮川に注ぐ東堰を利用。神社は山神社・稲荷神社。寺院は曹洞宗竜門寺,同寺は寛永11年火災にあっている。宝暦の頃,谷ケ地から当村に嫁いだ女によって凍豆腐の製造が伝えられ,以来盛んになったという(会津高田町誌)。明治4年の戸数35,うち寺1,人口189(若松県人員録)。若松県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数36・人口211。明治12年大沼郡に属し,同22年尾岐村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266540
最終更新日:2009-03-01




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