ケータイ辞書JLogosロゴ 面川(中世)


福島県>平田村

室町期に見える地名石河荘のうち応永11年頃のものと推定される仙道諸家一揆傘連判(秋田藩家蔵白川文書)の石河氏を中心とする一揆傘連判に「面川 掃部助光高」と見える光高は名前に光の文字を使用していることから石川一族と考えられるこの一揆傘連判は,篠川公方足利満直のもとに結集したものである明応5年8月4日の石川一家同心状案(八槻文書/県史7)に「面川宗信」の名が見られるこれは,石川氏の宗家,石川成光を中心に一族15名が同心し京都の乗々院に「抑白川之先達八槻別当企無理之相論,当庄之先達於京都失生涯候」と訴えたものである「石川氏一千年史」によると,石川義光の四男光時は,面川源太郎と称し,面川氏の祖となったという建武2年12月30日の石川光時軍忠状(石川氏一千年史所収文書)に「石川源太郎光時軍之事,一,右今年建武二年十二月二十四日,当国守供人広橋修理亮引率東海道岩城岩前軍勢等馳向高野郡馬場原之間」などと見えるまた,慶長3年,石川氏が伊具【いぐ】郡角田【かくだ】(現宮城県角田市)に移った時に,一族として面川三郎兵衛の名が見える中通り中部,現在の平田村のあたりに比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266551
最終更新日:2009-03-01




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