ケータイ辞書JLogosロゴ 柏野村(近世)


福島県>西郷村

 江戸期〜明治22年の村名。白河郡のうち。はじめ会津領,寛永4年白河藩領,慶応3年からは幕府領。村高は,文禄3年の蒲生高目録では120石余,古領高長では307石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに309石余。寛保2年の差出帳によれば本年貢と大豆は手形納。小物成は口米・大豆・稗・油荏・犬米・糠・藁・山芋・柿渋・薪炭・葭萱・夫金など。林野不足のため山役銭や野手役銭を払って山稼ぎをした。このため山論が頻発し,文化10年下羽太村と秣場,安政5・6年には上羽太村・下羽太村と萱場・秣場,文化元年真名子新田村と飼葉相論を起こしている。化政期の家数は下柏野15軒・上柏野12軒。助郷は奥州街道白坂宿への出役であったが,百姓不足のため寄人馬・諸足役などが減免された。里役の村で廻米や往来荷物の運搬などの駄賃稼ぎを行った。地内より産する安山岩は白河石として珍重され,寛延・文政年間頃,分領の信濃国的場村より石工や技術を導入して採石された。しかし天保13年奢侈禁止令が出され,種類や価格が規制された。庄屋は元和年間から和知源太左衛門家が世襲。鎮守は熊野神社。寺院は曹洞宗東谷山大竜寺。旧福島県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数20・人口155。明治12年西白河郡に属し,同22年西郷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266644
最終更新日:2009-03-01




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