ケータイ辞書JLogosロゴ 勝方村(近世)


福島県>会津坂下町

 江戸期〜明治8年の村名。河沼郡のうち。会津藩領。牛沢組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では稲川郡に属し594石余,寛文5年の万改帳では615石余,文化15年の村日記(県史10下)では840石余,ほかに牛沢組郷頭の佐原家の開発高46石余,「天保郷帳」884石余,「旧高旧領」883石余。寛文5年の万改帳では家数93軒・竈107・人数498,小物成として綿役・糠役・足前・山役があり,役漆木606本・役蝋12貫741匁余,産物は米・麦・タバコ・豆・粟・稗・蕎麦・胡麻・油荏などで養蚕も行われていた(会津風土記風俗帳1)。化政期の家数72軒(新編会津)。用水として寛永8年大沢堤,明暦2年手寺沢堤,天明2年曲田堤などが築かれている。神社は感応神社(現,多賀神社)・鬼渡神社。寺院は曹洞宗勝方寺。同寺の開基は「会津鑑」によれば永正11年麟覚と伝え,戊辰戦争では町野・南摩両家の女子がここで自決した。明治8年大村・大村新田村と合併して勝大村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266676
最終更新日:2009-03-01




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