ケータイ辞書JLogosロゴ 賀東田之村(中世)


福島県>表郷村

 室町期から見える村名。高野郡のうち。応永35年3月10日の足利持氏所領預状(秋田藩家蔵加藤田文書)に「高野内賀東田之村預置候,任先例,可在知行候」とあるのが初見で,この頃足利持氏は,白河の結城氏朝と戦いを交えており,結城氏の支配領内の賀東田氏に所領を預け置き,味方に引き付けようとしたものであろう。永正15年12月28日の結城義綱所領充行状(同前)で,河東田治部少輔は,「北向之内新左衛門うち,此度新恩ニなかく知行有物也」として所領を宛行われた。永禄〜天正年間頃のものと推定される結城晴綱書状(同前)には河東田弾正忠の名が見える。天正3年には河東田河内守が佐竹義重から河東田の地を与えられ,天正年間には河東田大膳が河東田の天王寺館に住したという(新編常陸国誌)。川東田上総守・河東田大膳は,結城氏の家臣であったという(白河古事考)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266685
最終更新日:2009-03-01




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