ケータイ辞書JLogosロゴ 上遠野郷(中世)


福島県>いわき市

 南北朝期から見える郷名。菊田荘のうち。永和5年閏4月8日の藤原政郷証状に「上遠野郷,上遠野ゝ兵庫助ニ仰下候也」とあるのが初見で,藤原政郷は上遠野ゝ兵庫助に当地を宛行っている(上遠野文書/県史7)。また,応永11年10月13日の上杉朝宗料所預ケ状に「陸奥国菊田庄上遠野郷半分事,為料所々預置也」と見え,上杉朝宗が上遠野朝秀に当郷の半分を料所として預けたことがわかる(同前)。応永23年と推定される年欠11月3日の上遠野兵庫助宛上杉氏憲書状に「抑於上遠野,去廿五日致合戦」と見え,10月25日に当地において合戦があり,兵庫助の弟九郎,十郎が負傷している(上遠野文書/県史7)。年欠3月14日の岩城常隆書状に「普請之事,上遠野番中,被致之由申付」と見え,岩城常隆が普請を上遠野番中に命じた旨が記されている(三坂文書/県史7)。なお年月日欠の中納言消息に「そうよかミかたへのほり候へきよし候て,かとをのまてこミ(しカ)給ひ候」とあり,同じく年月日欠のかいしやく消息に「此たひそうよ,かミかたへのほりのために,かとをのまてふとしてうちこし給ひ候ところに」と見え,「そうよ」なる人物が上洛のため,当地に到着したことがわかる(奥州文書/県史7)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266688
最終更新日:2009-03-01




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