上渋佐村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。行方【なめかた】郡のうち。相馬中村藩領。中郷に属す。承応3年渋佐村が当村と下渋佐村に分村して成立(奥相志/相馬市史4)。村高は,明暦2年204石余(相馬藩政史),正徳元年の郷村高辻帳(県史9)では159石余,「天保郷帳」216石余,「旧高旧領」181石余。古来当時軒別増減による家数は,宝永年間33軒・天明3年26軒・嘉永元年14軒(県史9)。文久元年の家数29軒(うち新家15)・人数177,馬24。新家の出身地は因幡11・越後1となっている(奥相志)。鎮守は牛頭天王・雷神・田神を合祀する照崎神社。ほかに熊野神社がある。磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属。戸数・人口は,明治13年23・193(県統計書),同20年30・261。明治12年行方郡に属し,同22年原町村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266901
最終更新日:2009-03-01