ケータイ辞書JLogosロゴ 上勝村(近世)


福島県>喜多方市

江戸期〜明治10年の村名会津地方北部,姥堂【うばどう】川西岸に位置する耶麻【やま】郡のうち会津藩領熊倉組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では「すくれ」とあり299石余,文化15年の村日記(県史10下)では288石余,「天保郷帳」294石余,「旧高旧領」319石余はじめ原村と称したが,のち勝前という都の女性にかかわる堂社が多く建立されたので勝村となり,江戸初期に村の南方にある下勝村に対して上勝村と改められたという(新編会津)端村に松島新田がある化政期の家数は本村9軒・松島新田6軒(新編会津)神社は宗像神社,寺院は観音堂の別当勝福寺若松県を経て明治9年福島県に所属同10年京出村・東中明【ひがしなかみよう】村と合併して三津井村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266907
最終更新日:2009-03-01




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