ケータイ辞書JLogosロゴ 上関河内村(近世)


福島県>矢祭町

 江戸期〜明治22年の村名。白川郡のうち。はじめ常陸佐竹領,慶長7年幕府領,元和8年棚倉藩領,享保14年からは幕府領(塙代官所支配)。寛永年間に関河内村が上関河内村・下関河内村に分村して成立したという。村高は「天保郷帳」で263石余,「旧高旧領」261石余。元文元年大垬村を分村したと伝える。常陸太田街道の宿場で,古地図に仲町の名が見える。鎮守は稲荷神社。寺院は天正元年の開基と伝える禅宗久向山積泉寺があったが,明治5年廃寺。明治9年の戸数28・人口169,馬62(上関河内村誌)。磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数32・人口206。明治12年東白川郡に属し,同22年豊里村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266908
最終更新日:2009-03-01




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