ケータイ辞書JLogosロゴ 刈合村(近世)


福島県>下郷町

江戸期〜明治8年の村名苅合とも書く会津地方南部,阿賀川(大川)と戸石川合流点南部に位置する会津郡のうち古くは楢原郷に属したはじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領楢原組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では苅谷とあり293石余,元禄4年には100石余,文化15年の村日記(県史10下)および「天保郷帳」「旧高旧領」では119石余元禄4年の家数17軒・人数107,馬13,役漆67本貞享年間,大川の筏師が6人いた大川を渡って川向うの塩生村へは,10月に歩き橋を架けて冬を越し,春には雪解水で流れたまま秋を待ち,夏は徒歩渡りをした南方の楢原村(駅所)へは河岸の崖縁に板橋を4か所もかけて通行していた栗林を立てておき,拾った栗を売り出した明和2年頃から潰れ百姓が多くなり,享和4年までに字上村は亡所となった(文化4年嘆願書)化政期の家数11軒(新編会津)天保8年の家数8軒神社は御霊神社,相座は熊野宮・柯沢神の2座ほかに那牟多伊神社明治4年の戸数11・人口48明治8年楢原・上添・小山・倉・岩本の5か村と合併して豊成村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267041
最終更新日:2009-03-01




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