ケータイ辞書JLogosロゴ 倉谷村(近世)


福島県>下郷町

江戸期〜明治8年の村名会津地方南部,戸石川北岸に位置する会津郡のうち古くは楢原郷に属したはじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領楢原組に属す村高は,元禄4年には213石余,文化15年の村日記(県史10下)および「天保郷帳」「旧高旧領」では237石余村名は古くは串谷といい,治承年間高倉宮が通ったため倉谷と改めたという(新編会津)元禄4年の家数27軒・人数210,馬21,役漆76本下野街道(会津西街道)の宿駅で,大内駅と楢原駅の間にある寛永〜貞享年間は六斎市が開かれ,主に米市であった会津盆地の米を御蔵入領内および下野方面今市に付け出すもので,米売りの節は売主・買主・米宿立合で若松・下野の相場に合わせて値を立てたこのほかに米の運搬業者の中付が相対で売買し今市まで運ぶものもあった(貞享2年風俗覚書)この市も江戸中期以降は消滅した街道筋に当たる戸石川を渡り小池村に至る長さ11間の橋普請は下郷中の人足普請であった文政年間19戸焼失の大火があった寺院は僧存境が開基したと伝える曹洞宗高蔵山松庵寺,慶安2年田島組田島村徳昌寺の末山となる境内に観音堂がある神社は熊野宮で伊勢宮・稲荷神・山神が相座,ほかに幸神社・湯殿神社がある戊辰戦争の際,新政府軍は慶応4年8月末以来駐屯していたが,大内駅とともに9月9日佐川官兵衛のゲリラ急襲により四散,多量の兵糧弾薬を渡す化政期の家数26軒(新編会津)明治4年の戸数21・人口91明治8年成岡村ほか4か村と合併して栄富村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267366
最終更新日:2009-03-01




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