ケータイ辞書JLogosロゴ 経徳(中世)


福島県>喜多方市

 戦国期から見える地名。耶麻【やま】郡のうち。天文14年正月吉日写の熊野宮相撲田楽日記案(新編会津所収文書/県史7)に「六月会相撲日記……十二番〈左けいとく〉十三番〈左けいとく〉……田楽之日記 万力・能力・高木・経徳より,衆徒四,人数合八人」とあるのが初見で,この頃新宮村熊野宮で行われていた六月会相撲・田楽に村の代表を送っていることが知られる。「天正日記」の天正17年6月6日条に「夜入,金川・三橋・塩川・けいとく(慶徳)いつれも引申候」と見え,前日磐梯山麓の磨上原【すりあげはら】で蘆名義広を破った伊達政宗が当村にも兵を動かしている。天正18年2月15日の伊達政宗知行充行状写(伊達文書/県史7)によると,政宗は慶徳いなは(因幡)に知行を預けているが,この中に「けいとくます一斗五たハら」と見え,当村を中心に「慶徳枡」という枡の制があったことがわかる。当村には,天正13年5月に松本備中が伊達政宗に内応して起こった戦乱の際,蘆名氏の武将として活躍した慶徳善五郎が館を構えていたという(新編会津)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267421
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ