ケータイ辞書JLogosロゴ 鴻草村(近世)


福島県>双葉町

 江戸期〜明治22年の村名。標葉【しねは】郡のうち。相馬中村藩領。村高は,正徳元年の郷村高辻帳(県史9)では399石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに465石余。天明3年,幕府は飢饉対策の一環として「藁餅製法書」を頒布し(農商務省編:大日本農政類編),藁餅の食用を勧めるが,「天明救荒録」には「天明の度に鴻草村にて藁を粉にし餅とし喰ける処,大便閉となり,家内五人一同に死たるよし悼敷事也,是製方悪きゆへなるべし」とあり(相馬市史5),当村の農民がその製法を誤って悲劇を招いたことが知られる。古来当時軒別増減による家数は天明3年31軒・嘉永元年36軒(県史9)。磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数61・人口337。明治12年標葉郡に属し,同22年長塚村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267460
最終更新日:2009-03-01




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