ケータイ辞書JLogosロゴ 権現下郭(近世)


福島県>会津若松市

江戸期〜明治初年の町名江戸期は若松城下郭内南部二ノ丸の南側町名は,東側にあった熊野権現社に由来する当町内には士屋敷・神社・寺院・米蔵などがあった南端の熊野口(天神口)には郭門が置かれ,熊野社の近くに番所があった西側の外讃岐【そとさぬき】口にも郭門が置かれていたが,門は閉ざされており通行が禁じられていた(新編会津)当町内には米蔵が2つあり,東側のものを上倉,西側のものを下倉といい,藩士に給する蔵米を収めたこの米蔵は寛永年間には加藤氏の重臣田部新太郎の屋敷,そのほかの士屋敷であった保科氏入部当初の寛永20年頃は,上倉の方は米蔵,下倉の方は浄光寺であり,下倉が見えるようになるのは享保18年の絵図以降である(会津若松史2)神社は東照宮・熊野社・豊岡神社,寺院は天台宗延寿寺東照宮は江戸期に蒲生忠郷が勧請したもので,加藤氏・保科氏とも社領200石を寄進した豊岡神社は正覚寺の跡地で,保科正之・正容・容貞を祀っている(新編会津)当町は戊辰戦争でほぼ焼失した年未詳だが,明治初年に若松栄町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267644
最終更新日:2009-03-01




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