- JLogos検索辞書>
- 酒井村(近世)とは
「酒井村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 酒井村(近世) 江戸期~明治6年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 酒井村(近世) 江戸期~明治11年の村名播磨国神東郡のうち市川中流左岸の河岸段丘(豊富段丘)の南端終末部とそこから南の豊富沖積部北端に位置する元禄年間までに重国村から分村して成立地名の由来は,語源的には坂のあたりの住居という意味で小字名にも酒井という字がある延元4年に出雲・隠岐の守護塩谷判官高貞の女房・子供・郎等が高師直の手兵に追われ出雲に逃れる途中播磨蔭山の地で焚死したというのが当地という(太平記)姫路藩領村高は,元禄2年の播磨壱国調帳(姫路城史)283石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに286石余江鮒村甲山八幡神社が豊富地区の総氏神で,村内には要森神社を祀り鎮守としている寺院は曹洞宗円通寺で塩谷判官高貞の女房,郎等の焚死の焼堂跡に十一面観音を祀りその霊を弔うために建てられた寺ともいわれる開発は分村以前に終わり独立したのちはほとんど行われなかった水利は甲池による近世後期には畑地には綿を栽培し,文化・文政年間以後の姫路藩木綿(篠巻)専売の綿の産地となった寛延2年の一揆では庄屋伝右衛門は,一揆勢に庄屋退役約束証文を書かされた明治11年豊富村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 酒井村(近世) 江戸期の村名基肄【きい】郡のうち筑後川の支流秋光川・大木【だいぎ】川下流域の平地に位置する村名の由来は,「肥前国風土記」の「酒殿泉」にちなむと伝えられる対馬藩田代領基肄下郷に属す村高は,「肥前国郷村畝高帳」(新鳥栖市史)によれば,文禄検地高1,020石余・慶長検地高1,398石余,「慶長国絵図」では「坂井村」と見え1,141石余,「正保国絵図」では1,020石余「天保郷帳」では1,476石余宝永2年の田代領郷村人高竈数書上帳によれば,竈数は149(うち名子25・寺1・社家1)江戸中後期には大木川を境として酒井東村と酒井西村に分村したその時期は不詳だが,文政9年の史料には酒井東村・同西村の2つが見え(新鳥栖市史),「旧高旧領」でも同様に2村の村高が見える「郷村区別帳」にも酒井村が見えるが,別に酒井西村も記されており,これは酒井東村のことである... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 酒井村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 酒井村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 酒井村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 酒井村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 酒井村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」