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- 境新田村(近世)とは
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境新田村(近世) 江戸期~明治9年の村名堺新田村とも書いた庄内地方,庄内平野のほぼ中央部,北楯大堰沿いに位置するはじめ櫛引【くしびき】郡,寛文4年からは田川郡のうちはじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年庄内藩領,慶安2年からは松山藩領村高は,延享4年の狩川大堰手控(最上川土地改良区史)では217石余,「天保郷帳」67石余,「旧高旧領」では堺新田村として村高は変わらず文禄年間飽海郡荒瀬郷の工藤兵右衛門らの開発と伝える慶応4年の家数13軒(年中行事控帳)用水ははじめ道満沼から引水したが,北楯大堰開通後は同堰分水堰の余目新田堰を利用鶴岡県を経て明治9年山形県に所属同年余目新田村に合併 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」