ケータイ辞書JLogosロゴ 逆瀬川村(近世)


福島県>新鶴村

 江戸期〜明治22年の村名。大沼郡のうち。会津藩領。はじめ牛沢組,文化年間頃からは高田組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録で161石余,寛文5年の稲河領牛沢組郷村万改帳(会津風土記風俗帳1)で261石余,文化15年の村日記(県史10下)で543石余,「天保郷帳」561石余,「旧高旧領」590石余。寛文5年の家数・人数は,本村42軒・283,端村仏沢3軒・20。化政期の家数は,本村53軒・小名松坂新田6軒・端村仏沢11軒(新編会津)。村内を若松から軽井沢銀山へ通じる銀山街道が通り,領主加藤氏の時代から銀山への往来で繁栄した。松坂は軽井沢(軽沢)銀山へ登る峠で,山麓に新田が開け小集落が形成されていた。当村の山は,薪や草を取る会津盆地の村々の入会地であった。江戸期,村内の畑から家紋の印がある鬼瓦や矢の根石が出土(会津鑑)。寛文6年館下堰を牛沢組郷頭佐原吉左衛門が人夫784人を使って掘った(新鶴村誌)。神社は八幡宮・白山神社。寺院は天正年間に再興されたと伝えられる天台宗興隆寺。若松県を経て明治9年福島県に所属。戸数・人口は明治4年69・390(若松県人員録),同20年69・411。明治初年頃村名を佐賀瀬川村とする。明治12年大沼郡に属し,同22年鶴野辺村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267695
最終更新日:2009-03-01




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