ケータイ辞書JLogosロゴ 下樋村(近世)


福島県>本宮町

江戸期〜明治4年の村名中通り北部,大名倉山の南麓,本宮盆地の西南部,五百川沿岸に位置する安達【あだち】郡のうち二本松藩領本宮組に属す「元禄郷帳」「天保郷帳」には見えないが,「二本松藩史」によれば天保年間の村高382石村名は五百川の水を田などに引くために埋樋を設けたことによるという(相生集)享保年間の家数28軒(積達大概録)文政11年の大積覚書帳によれば,畑作物の割合は桑が1割,大豆・小豆が6割,そのほか大根・ソバなど元和年間の頃下樋村・羽瀬石村の開拓地灌漑のため日影沢疏水が開削され,その後文政年間この疏水を苗代田村に引く工事が行われたという(本宮地方史)明治4年羽瀬石村に合併
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267715
最終更新日:2009-03-01




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