ケータイ辞書JLogosロゴ 三城潟村(近世)


福島県>猪苗代町

江戸期〜明治8年の村名三条方とも書いた会津地方東部,猪苗代湖北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは更級荘に属したという会津藩領川西組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し,三条方とあり424石余,文化15年の村日記(県史10下)では421石余,「天保郷帳」420石余,「旧高旧領」430石余古くは内城村と称したが,三浦経連が猪苗代に来た時,その子経泰・赤房・義泰の3人が館を築いたので三城潟と改めたという(新編会津)二本松裏街道筋にあった化政期の家数27軒(同前)寛延2年12月猪苗代・塩川・北方(喜多方)地方を中心に起こった農民一揆の発端は,当村の蔵元が借米を断わったことに始まる(渡辺家文書)倉庫が3つあり1つは社倉,他は本組の米倉であった(新編会津)肝煎は二瓶家慶応4年の産物はシジミ貝(猪苗代郷土誌稿)鎮守は八幡神社で三浦経連が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し,田5反を寄進し,保科正之が再興したという(新編会津)寺院は曹洞宗大宮山長照寺で,本尊の聖観音は猪苗代三十三観音第33番札所である明治元年10月の村役人排斥の一揆で休役となった旧肝煎は12月に帰役願を民政役所へ提出した(小林家文書)明治8年新在家村・五十軒村と合併して三ツ和村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267772
最終更新日:2009-03-01




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