ケータイ辞書JLogosロゴ 塩生村(近世)


福島県>下郷町

 江戸期〜明治22年の村名。会津郡のうち。古くは古々布郷に属した。はじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領。松川組に属す。村高は,文化15年の村日記(県史10下)および「天保郷帳」「旧高旧領」では304石余。下野【しもつけ】に行く裏街道の駅所で,北は弥五島村駅から橋坂で大川を渡り,中妻村を通って田島駅に達する。中世の館跡があり,平田五郎忠照が住んだと伝える(新編会津)。元禄年間から松川組のうち塩生・中妻・本九々布・張平・檜原・桃曽根・落合7か村の郷蔵が2棟あった。化政期の家数48軒(新編会津)。明治4年の戸数44・人口262。江戸末期の在郷商人弓田円蔵は遠く若松城下田島村などにも及ぶ金融業を営んだ。さらに田島村・黒沢新田村などの在郷商人と組んで若松城下へ流木などを行う。また文久3年対岸の楢原組岩本・倉・上添・小山・楢原5か村からの依頼により開堰事業を行い明治16年に竣功,円蔵堰と名付ける。安政4年,会津藩では塩生村へ朝鮮ニンジン加工出張所を設け,松川組内の乾燥加工を行う。神社は東胡神社。寺院は真言宗忠照山長福寺,境内に観音堂がある。明治8年塩生小学校開校。若松県を経て明治9年福島県に所属。明治10年から馬のせり市が開かれ,同20年からは弥五島せり市が加わって1年交替となる。同20年の戸数45・人口244。明治12年南会津郡に属し,同22年旭田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267824
最終更新日:2009-03-01




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