ケータイ辞書JLogosロゴ 塩松(中世)


福島県>岩代町

南北朝期から見える地名安達【あだち】郡のうち四本松とも称した文和年間と推定される12月11日の足利尊氏御教書(相馬文書/県史7)に「佐衛門佐入道心勝申,陸奥国安達東根内塩松合戦事,高倉上総介同一族等押寄当所,及合戦云々」とあるのが初見「満済准后日記」の正長元年10月2日の条に「今日奥篠河殿并伊達・蘆名・白河・懸田・河俣・塩松以上六人被遣御内書」と見え,塩松は石橋氏の支配であったことがわかる正長2年9月2日の条には「依仰岩栖院僧ヲ下遣了,彼僧数日奥塩松治部大輔処ニ逗留」と見え,室町幕府の陸奥支配の拠点になっている「後鑑」文明3年12月3日の条には,「関東進発事」として塩松殿に宛てた足利義政の御教書を収録しているその後天正日記天正14年7月16日条には「塩ノ松ハ白石若狭拝領被申御加増ニ下サレ候」と見え,当地は伊達政宗から白石若狭守に与えられたことがわかるまた元亀3年8月6日の織田信長先達職安堵状(青山文書/県史7)に「奥州塩松先達職之事,従勝仙院,如被預置,熊野参詣諸旦那共,被相催,上洛可然候」とあり,当地の先達職を蒲倉大祥院に安堵していることがわかる中通り北部,現在の岩代町大字上長折・下長折に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267833
最終更新日:2009-03-01




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