ケータイ辞書JLogosロゴ 渋谷村(近世)


福島県>猪苗代町

江戸期〜明治8年の村名会津地方東部,磐梯山東麓に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは更級荘に属したという会津藩領川東組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し「渋谷・沼倉」として97石余,享保3年346石余(小林家文書),文化15年の村日記(県史10下)では346石余,「天保郷帳」356石余,「旧高旧領」370石余端村に沼倉・河上・湯本がある貞享2年の「猪苗代川東組万風俗改帳」によると沼倉の南原に「志おんと申草御座候,ぶす草と申候鉄をいむ」とあり,鎌で刈って馬に与えると落馬するとある享保3年の家数47軒・人数221,馬42,文化3年の家数30軒・人数129,馬29(小林家文書)化政期の家数本村13軒・沼倉12軒・河上2軒・湯本2軒(新編会津)湯本の北部に温泉が湧き,湿瘡に良く効くという肝煎は古川家と遠藤家鎮守は熊野神社で,沼倉の北部にあったものが明和年間に移された猪苗代三十三観音の第4番札所の観音堂があるまた温泉神社が湯本の北部にある用水は土田堰・上山下堰(新編会津)慶応4年の産物は蚕種(猪苗代郷土誌稿)明治元年10月村役人排斥の一揆で休役となった旧肝煎は,12月に帰役願を提出した(小林家文書)明治8年見禰村・長坂新田村と合併して磐瀬村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267884
最終更新日:2009-03-01




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