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- 下金沢村(近世)とは
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![]() | 下金沢村(近世) 江戸期~明治9年の村名蒲原郡のうち阿賀野川中流左岸もと満願寺村の一部,寛永8年開発され下興野新田と称し,寛文3年改称浦金沢とも称した地名の金沢は,古代,金属工業者の居住地であったことにちなむ(新津市誌)地元では,鉄漿沢【かねさわ】の転訛ともいうはじめ沢海【そうみ】藩領,貞享4年からは幕府領村高は,「元禄郷帳」190石余,「天保郷帳」343石余検地は,貞享元年・宝永4年(皇国地誌)宝暦2年の家数57・人数320(明間家文書)水利は能代川一之堰から取水した大江を利用庄屋は,はじめ比企家,のち明間家にかわり,幕末には明間家と島倉家の年番制となる鎮守は神明宮寺院は尼寺の曹洞宗大道庵明治8年の物産は米170石・大豆60石・小麦20石・菜種12石・葉藍2,500貫目,同9年の戸数68・人口356(皇国地誌)同9年互賀村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」