ケータイ辞書JLogosロゴ 下河辺村(中世)


福島県>玉川村

南北朝期に見える村名石河荘のうち観応3年4月13日の奥州管領吉良貞家吹挙状案(板橋文書/県史7)に「石川板橋掃部介高光申所領陸奥石川庄千石・板橋,八幡宮領下河辺村・沢尻等之事」と見える当村は,板橋高光(川辺八幡神社)相伝之所であったが,兄時光が宮方(南朝)の時,これを押領した時光が北朝に降参した際に,畠山国氏は板橋高光の所領として裁許し,さらに吉良貞家が高光のために足利尊氏に下文を請うた文書である観応3年8月3日の足利尊氏袖判吉良貞家奉書(川辺八幡神社文書/県史7)によりこれが安堵されている中通り中部,現在の玉川村大字川辺のうちに比定される
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267976
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ