ケータイ辞書JLogosロゴ 下窪村(近世)


福島県>塩川町

江戸期〜明治8年の村名下久保村とも書く会津地方中部,大塩川下流東岸に位置する耶麻【やま】郡のうち会津藩領塩川組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では367石余,文化15年の村日記(県史10下)では401石余,「天保郷帳」412石余,「旧高旧領」438石余化政期の家数29軒(新編会津)村内を南流して大塩川に注ぐ境見川のそばに,姥神とか大日と呼ばれる石仏がある狐堰は竹屋村の方から西流して境見川に注ぐ(新編会津)神社は諏訪神社大塩川・境見川上流の漆・熊倉・舘・高柳・吉沢・小沼・宮野目・常世・金森の9か村との間にもらい水に関する相論があったが,慶長15年5月22日,同16年6月1日,同18年6月10日の3回にわたる蒲生氏仕置奉行の決裁により決着をみた(鈴木家文書/新編会津)肝煎は鈴木氏の世襲であった明治8年上窪村と合併して窪村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267982
最終更新日:2009-03-01




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