ケータイ辞書JLogosロゴ 下小屋村(近世)


福島県>大信村

 江戸期〜明治22年の村名。岩瀬郡のうち。はじめ会津領,寛永4年からは白河藩領。村高は,文禄3年の蒲生高目録では1,091石余。古領高長では1,256石余,「天保郷帳」では1,264石余,以後変わらず。化政期の家数108軒(白河風土記)。嘉永5年の庄屋は野木左五左衛門。助郷は会津街道上小屋宿に出役。屋敷は滝屋敷・日籠・和田・西宿・樋口・宮沢・大高内・日照田・日和田の9か所にあった。鎮守は宮沢に熊野社があり,樋口に牛頭天王,日籠に八幡社などがある。寺院は曹洞宗長慶寺・真言宗正福寺・修験大林寺。旧福島県を経て明治9年福島県に所属。明治20年の戸数110・人口694。下小屋小学校は明治9年上小屋村から移転,明治15年に宮沢に新築,のち西宿に移転した。明治12年岩瀬郡に属し,同22年大屋村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7267998
最終更新日:2009-03-01




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