ケータイ辞書JLogosロゴ 下関河内村(近世)


福島県>矢祭町

 江戸期〜明治22年の村名。白川郡のうち。はじめ常陸佐竹領,慶長7年幕府領,元和8年棚倉藩領,享保14年からは幕府領(塙代官所支配)。寛永年間に関河内村が上関河内村・下関河内村に分村して成立したというが,慶長8年の常世北野村縄打にはすでに下関河内村と見える。村高は「天保郷帳」で740石余,「旧高旧領」728石余。「元禄郷帳」には鴇巣【ときのす】村・面木【おもてぎ】村・追分【おいわけ】村・追ケ草【おつけのくさ】村が当村の枝郷(坪)として併記されているが,「天保郷帳」では当村に含まれている。村内中央を南北に走る常陸太田街道沿いに人家が並び,天明8年に巡見使藤沢要人ら124名が宿泊した記録が残る(古市家文書)。神社は佳老山頂上にある鎮守熊野神社のほか,皇大神宮・稲荷神社・十殿神社・大山阿夫利神社がある。ほかに文政4年に建立された阿弥陀堂がある。明治9年の戸数74・人口452,馬127(下河内村誌)。磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数85・人口548。明治12年東白川郡に所属し,同22年豊里村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268021
最終更新日:2009-03-01




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