ケータイ辞書JLogosロゴ 下遠田村(近世)


福島県>塩川町

江戸期〜明治8年の村名会津地方中部,日橋【につぱし】川北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち会津藩領塩川組に属す寛永19年遠田村が上遠田村・下遠田村に分村して成立(新編会津)村高は,文化15年の村日記(県史10下)で718石余,「天保郷帳」702石余,「旧高旧領」697石余化政期の家数38軒,端村新屋敷【しんやしき】5軒(新編会津)遠田堰は,北部の上遠田村のほうから来て西部で日橋川に入る神社は山王神社寺院は福聚山大光寺,熱塩村曹洞宗示現寺の末寺同寺は昔,7間四面の観音堂や三重の塔をはじめ170〜180の堂宇と36の坊院を擁し,壮麗をきわめた古刹であると伝えるまた,同寺の寺領は300貫文でそのほか毎年施餓鬼のための費用もあったとされ,当村の北部に施餓鬼田という地名があるのち,寺領を失い,堂宇も荒廃したが,越後国の僧安翁が再興した同寺の傍らにある五所宮という地名は,昔,同寺の境内で五所権現として稲荷・祇園・加茂・春日・天神をまつり鎮守としたという南東部の日橋川に若松から耶麻郡慶徳組の村々に通じる裏街道の船着場がある南部に秣場がある明治8年上遠田村と合併して遠田村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268044
最終更新日:2009-03-01




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