ケータイ辞書JLogosロゴ 下野出島村(近世)


福島県>東村

 江戸期〜明治22年の村名。白河郡のうち。はじめ会津領,寛永4年白河藩領,寛保元年からは越後高田藩領。栃本組に属した。古くは野出嶋村であった(元禄郷帳)が,正保元年上野出島村・下野出島村に分村した。慶安年間以前に若栗新田を分村(古領高長)。村高は,文禄3年の蒲生高目録には野出島村とあり1,632石余,古領高長では1,345石余,「天保郷帳」1,355石余,「旧高旧領」1,356石余。助郷は常陸太田街道釜子宿へ出役。慶安4年の家数109軒・人数508。庄屋は代々遠藤家が務めたが,文久年間以降は関根家が兼帯(東村史上)。鎮守は鹿島神社,寺院は新義真言宗神宮寺。明治7年神宮寺に下野出島学校を設置。旧福島県を経て明治9年福島県に所属。明治20年の戸数95・人口581。明治12年西白河郡に属し,同22年小野田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268073
最終更新日:2009-03-01




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