ケータイ辞書JLogosロゴ 新在家村(近世)


福島県>猪苗代町

江戸期〜明治8年の村名会津地方東部,猪苗代湖北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは更級荘に属したという会津藩領川西組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し614石余,「天保郷帳」1,155石余,「旧高旧領」854石余端村に砂川新田があるもとは三城潟村の東にあったが,いつの頃か移されたという(新編会津)化政期の家数本村28軒,砂川新田5軒(新編会津)猪苗代裏街道に沿っている慶応4年の産物はタバコ(猪苗代郷土誌稿)肝煎は渡部家鎮守は出雲神社・総社神社猪苗代三十三観音第27番札所の観音堂もあり,十一面観音をまつっている明治10年村役人排斥の一揆で休役となった旧肝煎は12月に帰役願を民政役所へ提出した(小林家文書)明治8年三城潟村・五十軒村と合併して三ツ和村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268244
最終更新日:2009-03-01




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