ケータイ辞書JLogosロゴ 酸川野村(近世)


福島県>猪苗代町

江戸期〜明治8年の村名須川野とも書く会津地方東部,酸川下流北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは更級荘に属したという会津藩領川東組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し「須川野・妙見」として247石余,享保3年371石余(小林家文書),文化3年373石余,文化15年の村日記(県史10下)では376石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに386石余村名は,酸川の上流にあたることによるまた昔は8丁ほど東方にあったという(新編会津)享保3年の家数70軒・人口403,馬36,文化3年の家数60軒・人数257,馬42(小林家文書)化政期の家数32軒(新編会津)福島街道の宿駅で口留番所が設けられ,上りは猪苗代城下,下りは信夫郡土湯・木地小屋に継ぎ立てる端村名家【みようけ】は家数23軒,古くは妙見社があったので妙見村と称した同多茂沢【たもざわ】は4軒,同木地小屋・高森は10軒,木地を挽く者が多く,享保3年檜原村小野川より移住したという(新編会津)慶応4年の産物は六尺棒(猪苗代郷土誌稿)肝煎は鈴木家鎮守は八幡神社明治8年木地小屋村・大原新田村と合併して若宮村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268289
最終更新日:2009-03-01




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