ケータイ辞書JLogosロゴ 関柴村(近世)


福島県>喜多方市

 江戸期〜明治22年の村名。耶麻【やま】郡のうち。会津藩領。小田付組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では1,400石余,文化15年の村日記(県史10下)では758石余,「天保郷帳」1,118石余,「旧高旧領」1,121石余。小名に打入・菅沼,端村に河岐【かわまた】・大田・西条・赤坂・高橋・入柴・茅場・婆柳【うばやなぎ】がある。寛文5年の村高1,447石余(小田付組土地帳/会津風土記風俗帳1)。同年の本村の家数22軒・(竈)24,人数は男67・女62。川俣の家数15軒・竈19,人数は男39・女29。大田の家数4軒・竈4,人数は男10・女10。西条の家数5軒・竈6,人数は男17・女14。赤坂の家数3軒・竈4,人数は男6・女7。打入の家数5軒・竈6,人数は男14・女14。姥柳の家数4軒・竈7,人数は男18・女16。高橋の家数6軒・竈8,人数は男26・女16。入柴の家数12軒・竈16,男28・女23。茅場の家数2軒・竈4,人数は男12・女10(小田付組土地帳)。化政期の家数は本村16軒・打入8軒・菅沼4軒・河岐8軒・大田3軒・西条4軒・赤坂4軒・高橋6軒・入柴7軒・茅場6軒・婆柳2軒(新編会津)。菅沼は寛文7年に耶麻郡中田付村から分かれて開いたものという(同前)。端村茅場の山奥にある秣場は稲村・上田・上岩崎・入田付・中田付・大沢の6か村の入会地である。村内にある米倉は小田付組16か村の米を納める。また,天正13年伊達政宗に内応した松本備中を関柴備中とも称し,その結果起こった戦乱を関柴合戦と呼ぶが(蘆名家記),村の北部の入柴に松本備中のものと伝える居館跡がある(新編会津)。神社は諏訪神社。寺院は真言宗関堂山中善寺。若松県を経て明治9年福島県に所属。戸数・人口は明治13年67・417(県治統計表),同20年61・418。明治12年耶麻郡に属し,同22年関柴村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268354
最終更新日:2009-03-01




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