ケータイ辞書JLogosロゴ 関脇村(近世)


福島県>猪苗代町

江戸期〜明治8年の村名会津地方東部,長瀬川下流東岸に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは更級荘に属したという会津藩領川東組に属す村高は,文禄3年の高目録では猪苗代郡に属し95石余,享保3年498石余,文化15年の村日記(県史10下)では492石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに494石余端村に川原崎新田がある村名は,もと壺下村にあった関所の脇にあたるところから名づけられたという(猪苗代郷土誌稿)二本松街道の宿駅である享保3年の家数52軒・人数251,馬55,文化3年の家数45軒・人数211,馬32(小林家文書)化政期の家数本村43軒・川原崎新田2軒(新編会津)肝煎は六角家麓山神社は猪苗代地方の麓山信仰の総社的存在で,各村でのおこもりや火剣の麓山神事の終了時には関脇の麓山神社に参拝したまた優婆夷堂のおんばさま信仰は古くから遠近の信仰をあつめ,安産祈願やお礼参りの善女で賑わっている同堂は猪苗代三十三観音第11番の札所で,如意輪観音が合祀されている鎮守は月輪神社慶応4年の産物は浜鮒(猪苗代郷土誌稿)地内の岩館山には関参河某が住したという館跡があり(新編会津),天正2年の「伊達天正日記」には「いなハしろのせきわき殿」の名が見える明治元年10月村役人排斥の一揆で休役となった旧肝煎は,12月に帰役願を民政役所へ提出した(小林家文書)明治8年都沢村と合併して関都村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268383
最終更新日:2009-03-01




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