ケータイ辞書JLogosロゴ 千石村(中世)


福島県>古殿町

 鎌倉期から見える村名。石河荘のうち。文永2年8月23日の北条時宗下知状(秋田藩家蔵赤坂光康文書/鎌遺9337)に「光盛法師承元三年譲九箇村,坂路・千石・富沢・給当・堤・谷俣・都賀・河部・廻谷於嫡子光重法師」とあり,石川光盛が承元3年に嫡子光重に譲った石河荘内の9か村のうちの1村として見える。石河荘は当時北条得宗家領で,その被官人であった石川氏が北条氏の代官として荘内諸村を支配していたものである。南北朝期に至っても千石は石川氏一族が領有しており,観応3年4月13日の吉良貞家吹挙状案(白河古事考所収文書/県史7)では,千石を含む数か村が石川板橋高光の重代相伝の所領と主張されている。これらの所領は,当時,南朝方に属した高光の兄時光によって押領されており,高光は北朝方として軍功のあったことを根拠として,足利尊氏に所領の回復を申請している。この申請に対して同年8月3日の足利尊氏袖判吉良貞家奉書(川辺八幡神社文書/県史7)は,高光の所領領有を承認している。ただし,この史料では千石は「下千石村」と言いかえられている。応永年間のものと推定される12月6日の伊達恭範書状(駿河伊達文書)には千石郷と見え,伊達氏の所領であることが見える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268407
最終更新日:2009-03-01




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