ケータイ辞書JLogosロゴ 外小田垣(近世)


福島県>会津若松市

江戸期〜明治初年の町名江戸期は若松城下郭外東部のうち外郭の南東部町名は,古くは小高木【おたかき】村があったことに由来し,戦国期には小高木といったが,天正年間蒲生氏が外小田垣に改めたという当町の通りの化政期の家数は,隍端【ほりばた】一番丁8軒・隍端二番丁16軒(新編会津)隍端一番丁は江戸初期からの士屋敷正保国絵図によると,東方に少数の足軽組屋敷があった隍端二番丁も同じく士屋敷で,東方半分は足軽の居住地「新編会津」には西方に組屋敷が3軒あると記されている明治初年頃若松栄町の一部となるか南町分に編入したものと思われるが,詳細は不明
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268427
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ