ケータイ辞書JLogosロゴ 大村(近世)


福島県>白河市

 江戸期〜明治9年の村名。白河郡のうち。はじめ会津領,寛永4年からは白河藩領。白河町組に属す。検地は慶安3年。村高は,文禄3年の蒲生高目録では1,808石余,古領高長では691石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに749石余。北東部に山を負い,西部には田が開ける。本村は久保ともいい,端村に搦目【からめ】・鹿島・桜岡があり,四箇村ともいった。化政期の家数は本村12軒,端村搦目11軒・鹿島16軒,桜岡29軒。鎮守は鹿島神社。端村搦目は南東部にあり,村名は中世結城氏の居城である旧白川城の搦手にあったことにちなむという。五箇村堰が村の北東部にあり,阿武隈川を堰き上げ,隣村五箇村の用水とする。村の南にある稲荷社は,もと旧白川城内守護神で,城主結城氏をまつった小社があるという。寺院は曹洞宗松林寺。村の西部の山が旧白川城址で,山の北端の阿武隈川に面する断崖に楽翁松平定信の筆になる磨崖碑がある。端村鹿島は本村の西部にあり,家並みは鹿島神社馬場の両側にあり,西方に阿武隈川が東流,白川城下の鎮守である鹿島神社は平安初期常陸鹿島神社の勧請と伝える。境内の寺院は真言宗最勝寺,天文13年銘の古鐘がある。結城親朝が父の冥福を祈って建立したという。浮屠の碑ともいわれる三重塔がある。旧福島県を経て明治9年福島県に所属。同年学田新田の一部,新町ほか9か町村と合併して白河町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268438
最終更新日:2009-03-01




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