ケータイ辞書JLogosロゴ 平(中世)


福島県>いわき市

戦国期に見える地名磐城郡のうち永正7〜8年頃と推定される4月20日の佐竹義舜書状に「内々此度平へも参年来御礼等雖申届度候」と見え,岩城下総守親隆・常隆父子が佐竹氏の内紛を斡旋したことへの礼を述べている(秋田藩家蔵岩城文書/県史7)岩城系図によると下総守常隆が「文明十五癸卯,白土より飯野平に移る」と見え(続群6上),また嘉吉・文安年間頃に岩城隆忠が「居城を岩城のうち平にうつ」したとも見える(寛政重修岩城家譜)平は飯野郷内にあり,戦国大名岩城氏の居城が置かれた大館のあたりを平と通称したとみられる天文年間と思われる10月5日の岩城重隆明徹書状に,道堅が平に来たと見え(秋田藩家蔵岩城文書/県史7),天文末年から永禄年間頃と思われる中納言消息・かいしゃく消息,年未詳2月28日佐藤貞信・根本里行連署状にも「たいら」が見える(奥州文書・秋田藩家蔵岩城文書/県史7)元亀2年6月27日・30日の佐竹義重書状によれば,義重は平に来て岩城家中の窪田・船尾両氏の紛争を調停している(仙道田村荘史所載文書,上遠野文書/県史7)さらに天正19年10月9日の白土隆良書状には,奥州の一揆(葛西・大崎一揆)に際して石田三成が佐竹義宣に平か富岡への在陣を命じており,同日三成は平に到着している(秋田藩家蔵岩城文書/県史7)浜通り南部,現在のいわき市平地区に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268464
最終更新日:2009-03-01




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