ケータイ辞書JLogosロゴ 高久村(近世)


福島県>会津若松市

 江戸期〜明治22年の村名。会津郡のうち。会津藩領。高久組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では415石余,文化15年の村日記では880石余(県史10下),「天保郷帳」880石余,「旧高旧領」885石余。化政期の家数64軒(新編会津)。もとは村の北東の方六町にあったが,慶長18年移転した。当村は越後街道の宿駅である。高久組の郷頭所在地で風間氏が郷頭を勤めた。寛延2年郷頭風間宅と隣村の代官屋敷が農民一揆で打毀された。神社は鎮守の八幡宮。寛永年間頃まで,同社の南の柳田に総門の跡があった。寺院は真言宗真徳寺,同寺は古くは弘安寺と称したが,元和年間に蒲生忠郷が休み,住職の接待に感じ,寺を真篤と名付けてから,真篤寺と称し,のち真徳寺と書くようになったという(新編会津)。若松県を経て明治9年福島県に所属。戸数・人口は明治4年76・426(若松県人員録),同20年60・443。明治12年北会津郡に属し,同22年神指【こうざし】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268477
最終更新日:2009-03-01




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