ケータイ辞書JLogosロゴ 高田村(中世)


福島県>会津高田町

 室町期から見える村名。大沼郡のうち。地名としての文書上の初見は,享徳2年3月23日の蘆名盛詮書状(遠藤白川文書/県史7)で,「高田敵城被責落候」とあり,蘆名氏は当地にたてこもった松本右馬允(典厩)を白川小峰氏の助力で敗っているが,塔寺長帳(続群30上)には応永9年正月晦に「高田の宮謀(叛)」の記事が見える。また塔寺長帳(同前)には「福徳二年(延徳3年),七釜有,高田神人来臨」とあり,塔寺八幡宮の七釜神事に,村内の伊左須美神社の神人が参加していることがわかる。この伊左須美神社は,式内社の1つと伝え,蘆名氏・渋川氏の帰依を受けたが,文亀3年6月21日には「会津高田村伊佐須美大明神神宮殿・拝殿・廊門・額・宝器・開基ノ略記等迄不残炎上」(異本長帳)とあり,古記録類も焼失してしまった。その後,天文13年12月晦日の蘆名盛氏加判平田宗範田地売券(新編会津所収文書/県史7)には,「高田之村御供田之内年具(貢)四貫五百所」とあり,当村の一部を渋河源左衛門尉に売却している。また天文22年2月25日の蘆名盛氏諸公事免許判物(同前)によれば,渋川源左衛門は「大沼之郡高田村其身城之内,棟役并公事銭永代宥免候」として,蘆名氏の被護を得ており,戦国期には渋川氏が高田城主であったものと推定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268510
最終更新日:2009-03-01




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