ケータイ辞書JLogosロゴ 高田村(近世)


福島県>会津高田町

 江戸期〜明治22年の村名。大沼郡のうち。会津藩領。高田組上に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では2,285石余,寛文5年の高田組万改帳(会津風土記風俗帳1)では2,353石余,寛政元年の「会津鑑」では2,617石,文化15年の村日記(県史10下)では2,578石余,「天保郷帳」2,593石余,「旧高旧領」2,623石余。家数は寛文5年306軒(高田組万改帳),化政期上中下丁248軒・社家町12軒・新町6軒・下丁東5軒(新編会津)。物産は麻。下野に通ずる下野街道の駅所に当たり,六斎市が立ち,高札場があった。また代官所が設置された。寛永12年高田大火が起こった。承応3年には馬市が開始された。当村には近世初頭,若松城下の商人司簗田氏と匹敵する商人司吉原氏が住し市祭を行っていた(新編会津)。天保8年俳人田中月歩没す。神社は延喜式内社の1つと伝える伊佐須美神社で寛文7年社領30石と定められる。寺院は天台宗竜興寺・天王寺,浄土宗心光寺など。明治元年9月18日戊辰戦争にて高田を守る佐川官兵衛隊などと西軍との激戦が行われた(会津戊辰戦史下)。同4年の戸数356,うち社1・寺6,人口1,964(若松県人員録)。同8年境新田村を合併。若松県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数419・人口2,455。明治12年大沼郡に属し,同22年市制町村制施行後も1村として存続。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268511
最終更新日:2009-03-01




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