ケータイ辞書JLogosロゴ 竹貫郷(中世)


福島県>古殿町

 鎌倉期から見える郷名。石河荘のうち。徳治2年8月18日の法橋浄湛石川一門河尻方檀那引和与状(米良文書/熊野那智大社文書3)に「石河一門内河尻方竹貫七郷」とあるのが初見。これによると,幸秀・浄湛の両名が熊野那智大社の河尻方竹貫7郷における檀那引の権利を争っており,竹貫7郷がこの地方の檀那引の1単位となっていることが知られる。建武元年4月6日の陸奥国司下文案(結城文書/県史7)では「鷹貫・坂地・矢沢三ケ郷」が結城宗広に給与されており,宗広は同2年6月21日の譲状(白河證古文書/大日料6-2)でこれら3か郷を子息親朝に譲与している。3か郷のうち当郷を除く坂地・谷沢は鎌倉期に石川氏の所領であったことが確認でき,当郷についても,元亨3年の北条貞時十三年忌供養記(円覚寺文書/神奈川県史資料編2)に「石河高貫弥五郎」の名が見えるので,やはり石川氏の所領であったものと思われる。したがって,当郷を含むこれら3か郷はもと石川氏の所領であったものが建武年間に建武政権の実力者結城氏の手に移ったと見てよいであろう。しかし,天文24年4月24日の西光寺棟札(県史7)は「石川庄竹貫郷田口村」の西光寺を源中務大輔重光が建立したことを記しており,この源重光は名前から見て石川氏の一族と思われるので,あるいは南北朝期頃,当郷の領有権は結城氏から再び石川氏に移ったとも考えられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268525
最終更新日:2009-03-01




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