ケータイ辞書JLogosロゴ 竹貫村(近世)


福島県>古殿町

 江戸期〜明治22年の村名。竹貫町村ともいう。白川郡のうち。古くは竹貫郷に属したといい,竹貫郷の親村。はじめ岩城領,慶長7年幕府領(彦坂元正支配),同8年下野黒羽藩領・下野大田原藩領,元和8年棚倉藩領,享保14年からは再び幕府領(はじめ竹貫村陣屋,のち塙陣屋支配)。村高は,正保4年の検地帳(古殿町史上)では480石余,「天保郷帳」500石余,「旧高旧領」496石余。竹貫氏古城の城下として御斎所街道の両側に人家が密集し,いわゆる街村をなしていたため,古くは慶長8年の常世北野村縄打(県史8)を正保4年検地帳では竹貫町と記され,「元禄郷帳」でも竹貫町村とある。正保4年の検地帳には代官屋敷・蔵屋敷があり,棚倉藩領時代以前に代官所が置かれていたことがうかがえる。天明8年幕府巡見使に随行した地理学者古川古松軒の「東遊雑記」には,「三春へ八里,白川へ十四里,棚倉へ十里,この所は四方への追分なり」と記され,岩城の小名浜・九面港・常陸平潟港と白河・棚倉・塙・石川などを結ぶ御斎所街道などの中継所として重要であった。本陣・脇本陣・検断などの制度はなかったが,町の出入口は鍵手に曲り,中央に掘割があって道路は左右に分かれ,家は道路に直角に,奥行が長く町割されている。町の中心に高札場があり,これを境に上・下に分かれ,それぞれに名主がいた。町全体は上町・中町・下町から成り,各町に問屋が置かれ,旅籠屋・茶屋・五十集屋【いさばや】などがあった。竹貫市場(市庭)の成立は古く,商品流通がようやく盛んになる室町末期とみられる。竹貫市は正月と10月との2回で,正月の竹貫市は市祭といわれ,3日・8日・13日の5日おきの3斎で,上町・中町・下町の問屋が「行事」といって差配した。宝暦12年11月3問屋協議の結果,市祭の日は正月13日と決したといわれる。また竹貫米市は10月18日・23日・28日の3か市で,代官所役人および石川・棚倉・塙の商人によって,上米・中米・下米のその年の米価が決定された。竹貫米市の相場は,年貢賦課の基準をきめる重要な市場で,棚倉・石川とならんで県南地方の「三カ市」の1つとして重きをなした。宝暦11年の家数109軒・人数437,馬20(巡見使案内帳/水野家文書)。神社は稲荷神社・愛宕堂。寺院は真言宗愛宕山竜宝寺行善院・曹洞宗才蔵山亀堂院・曹洞宗鳳棲山竜台寺。竜台寺は竹貫氏の隠居寺であったと伝えられ,本尊木造虚空蔵菩薩坐像には貞治2年の銘がある。磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属。同12年の戸数58・人口307,馬101,物産は楮【こうぞ】・生糸・藍・豆(磐城国白川郡便覧)。同20年の戸数63・人口423。明治12年東白川郡に属し,同22年竹貫村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268526
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ