ケータイ辞書JLogosロゴ 高柳村(近世)


福島県>喜多方市

江戸期〜明治10年の村名会津地方北部,大塩川東岸の雄国山麓に位置する耶麻【やま】郡のうち会津藩領小沼組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では484石余,文化15年の村日記(県史10下)では536石余,「天保郷帳」554石余,「旧高旧領」562石余端村に小沼沢・滝沢がある出羽国米沢へ通じる裏街道が村内を通る蘆名盛氏の治世に毎月2日と7日の六斎市が立ったと伝える(手代木文書)寛文5年の村高496石余(大塩組風土記之帳/会津風土記風俗帳1)同年の本村の家数34軒・竈37,人数は男117・女91,小沼沢の家数5軒・竈5,人数は男10・女5(同前)化政期の家数は本村24軒・小沼沢4軒・滝沢4軒(新編会津)滝沢は承応元年高柳村の神職山本紀伊の五男茂兵衛が新田を開いたものであると伝え,地名は亀沢山という所に滝があることによるという(同前)水利は赤羽堰を利用この堰は村の北部で大塩川から引水したもので,南流して吉沢村の方へ注ぐ(同前)神社は諏訪神社同社は天正年間蘆名氏の家臣関柴村の領主松本備中が蘆名氏にそむいて伊達政宗の軍勢を引き入れた時,蘆名氏の家臣沼沢出雲実通がここで叛臣降状の祈願をして松本を討ち伊達勢を破ったので,その後蘆名家の崇敬浅からぬものがあったという(同前)寺院は真言宗高慶山西光寺若松県を経て明治9年福島県に所属同10年舘村・吉沢村と合併して都村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268560
最終更新日:2009-03-01




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