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- 高柳村(近世)とは
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![]() | 高柳村(近世) 江戸期の村名伊予郡のうち重信川下流の左岸,石手川の合流点に位置する村内を国近【くにちか】川が流れる元亀3年8月に毛利氏の軍勢8,000余騎が松前【まさき】あたりに来襲し,土居清良・南方親安らとの間に合戦が行われた(予陽河野家譜)戦国乱世のために農村は荒廃し,村内を流れる国近川の付近は楊柳の茂るにまかせたことが地名の由来という(伊予古蹟志)村高は「慶安郷村数帳」では576石余,うち田526石余・畑49石余,「元禄村浦記」576石余,「天保郷帳」665石余寛永初年の「伊予一国図」には当村名のほかに北西の重信川南岸沿いに「高柳内」と見え,元禄元年の「伊予郡廿四ケ村手鑑」ではすでに上高柳村・下高柳村と見え,本村を上高柳村,「高柳内」分を下高柳村と称しているしかし,天保年間のころに上高柳村を東高柳村,下高柳村を西高柳村としようとしたところ上高柳村民が応ぜず,下高柳村のみを西高柳村と改称し,当村は上高柳村・西高柳村に分村高柳村は重信川の洪水により度々冠水したが新田3町余・新畑5反余を開発した(伊予郡廿四ケ村手鑑)天明3年8月洪水により土手100間余が決壊したが,この時古銭の入った大壺を掘り出している(松山叢談)また村の神社の稲荷大明神社は洪水で流来した稲荷社が当村に止まったために流宮五社大明神といったという(温故録)現在の松前町大字上高柳・西高柳 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 高柳村(近世) 江戸期の村名三根【みね】郡のうち筑後川の支流寒水【しようず】川中流域,鷹取山南麓に位置する佐賀本藩領綾部郷に属す村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ではともに98石余,「天保郷帳」では102石余給人・地米高は「大小配分石高帳」では諸岡伴之進30石・池田半九郎20石・大野文太郎10石余・中野平之允5石余鎮西山北部の草山は当村を含む8か村の入会山で,「三根郡草山」といわれていたが,宝暦6年に神埼【かんざき】郡大曲村と三根・養父【やぶ】両郡5か村とのあいだで争論が起こり,藩の見分を受けたしかし,文政4年に争論が再発している鎮守は天満神社で,境内に天明5年の銘の神灯,文化10年の庚申尊などがある天満神社に隣接して観音堂があり,本尊は聖観世音菩薩「明治7年取調帳」では綾部村の枝村として見え,「郷村区別帳」では原古賀村の枝村として高柳分とある「明治11年戸口帳」によれば,原古賀村のうちに「高柳分」とあり,戸数41・人口286... |
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